ダンジョンを進む中で遭遇してきた何体もの敵をどうにか蹴散らしながら、クルト達は21階層に辿り着いていた。
黒い霧に覆われているせいか今までの階層とはまるで違う雰囲気を見せるその場所は、手にした松明やライトの光でさえも明るく照らすことは出来ず、また吹き荒れる嵐のせいでお互いの声すら届かない。


「ミスターピュア!ミスターゼンマイ!おかしいな、はぐれたか……?」


手探りながらも前に進めば段々と霧は晴れていき、先程の光景が嘘のように晴れ渡った雲の上へとまた戻ってきた。


「あぁ良かった、進むか戻るかしたんだな」


クルトが安心したように息をつくと、少し遠くの方から聞き覚えのある声。
間違いない、ゴングの声だ。


「おーーーーーいクルトーーーー!!!」


ゴングは手を大きく大きく振りながらクルトの方へと走ってくる。
そしてその背後にはもう1人、細身の男性がついてきていた。


「無事だったか」
「へへっ、まーね!楽しい空の旅もできたし絶好調だ!」
「ところでゴング、後ろのミスターは?」
「あっそうそう」


ぱっと見る限りゴングに目立った怪我などは無いようだ。
クルトの問い掛けにゴングはにっと笑うと、思い出した顔でクルトに後の男性を紹介し始めた。


「フォニオっていうんだ。さっきの嵐の階層を抜けた所で会った」


白衣という装いからも、彼の職業は医者、といったところだろうか。
期せずして再び医者と再び行動を共にするとは、これは帰ったら医者にかかれというお告げなのだろうか、なんて馬鹿らしい事を考えてしまうくらいクルトには余裕が生まれていた。
ゴングの無事が確認できたからだろう。
その後、3人で階層を進みながら何度となく言葉を交わした。
フォニオは確かに医者だということ、そして彼が旅人であるということ。
彼が使う異世界の魔法はクルトの心を躍らせる。
だが、武器への転用を口にしたら露骨に嫌な顔をされた、というのもまた現状であり。


「今のはクルトに問題ありだってぇ〜!」
「そうか?使える技術は使いたい、と思うのは研究者としては当たり前だと思うんだがなぁ」


フォニオがクルトと行動を共にしてくれるのは、恐らく彼自身の戦闘能力が故だろう。
そうでなければこれ程までに地雷を踏まれて黙っていられる筈がない。
そしてお互いに険悪な空気を抱えたまま、何度目かの階層を越えた。
3人が進む先には果てがまるで見えない程に広大な空や数々の浮遊島が広がっており、黙って進んでいては気をやってしまいそうだ。
ふと、そんな3人の影に更に影が重なる。
クルトには見覚えのあるシルエットだった。
頭上を見上げるフォニオにつられて上を見やれば、やはり、というかなんというか、先に出会った精霊と同じ容姿の精霊が彼らを見下ろし、やんわりと微笑んでいた。
この階層に至るまでに考えさせられた事を再び突き付けられるとは。
クルトは苦虫を噛み潰したような顔でその精霊と相対する。


「ん?どうした?知り合いか?」
「……途中で一度倒したやつだ」


生に関する倫理観を無理やりにでも考えさせられる。
クルトは生命を司るこの精霊が苦手だった。
まるで自分の全てを見透かされそうで、心の芯から震えが起きるようだった。





***





「なぁミスターフォニオ、なんであんたはあの時あんな事を言ったんだ?」


先程のユグドラとの戦いで、フォニオは”祝福なんていらない”と言った。
本来なら祝福を与えられるべきであろう医者という立場にいながら、彼はそれを拒んだのだ。
何かを犠牲にして成り立つ研究者や、誰かの命を奪う殺し屋なんてものとは違う、褒められるべき事をしている筈なのに。
フォニオはクルトのその問い掛けに一瞬切なげに目を細める。


「助けられる命を助けられなかったから。それだけだよ」


その言葉は自嘲とも諦めとも取れる音で彩られ、フォニオの口から零れ落ちる。
多大な後悔とやりきれない思いが溢れてくるようで、クルトはそれ以上言葉を紡げなかった。
助けられる命を助けられなかった、それはクルトにとっても同じだ。
同じようなものを抱えているのだ、とクルトはそのまま口を閉ざした。





***





3人はそのまま言葉少なに先へ先へと歩みを進めていった。
途中で何度か悪天候に襲われたが、ここまで進んでいける技量の持ち主が3人も揃えばそんなものはどうということはない。
明確にこの階層まで行こうという目的は無かったが、何故かクルトは先に進まなければならないという気がしていた。
ユグドラに言われた言葉が心のどこかで引っ掛かっている。
何かに誘われるように進み続けるクルトの瞳には、はっきりとした焦燥感と不安が映っていた。
何に急かされているのか、何を恐れているのかはよく分からないが、前に進めと己の心が言うのだ。


「なぁクルト、これそろそろバッテリーが切れそうだぞ?」


ゴングが背負っているジェットパックの燃料は確かに彼の言う通り残りわずかとなっていた。
手持ちのアイテムや疲労のことを考えると、ここで一度引くのも手ではあるが、だがしかし。


「おかしな話だが、先に行かなければいけないような気がしていてな。何がそうさせるのかはよく分からないんだが」


もう少しだけ付き合ってくれるか?と聞けば、ゴングとフォニオは小さく頷いてくれた。
それからどれ程の時間歩いたか、前に進んでいるのか後ろに下がっているのかも明確でないまま、クルト達はとある浮島が広がる階層に辿り着いた。
その浮島は色とりどりの草花に覆われており、ここがダンジョンであるという事を忘れてしまうような美しさだった。


「ダンジョンの中でさえなければ、すごく良い景色だね」
「確かになー!」


フォニオとゴングが浮島の海を見渡す。
すると突然、あっと驚いたような声をゴングが上げた。


「どうした?」
「あそこ!誰か倒れてる!」


こんなダンジョンの中で、1人だけで?
訝しむクルトをよそに、ゴングは軽々と浮島を縫うように跳んでいく。
ゴングの後に続いてその人物の元までいけば、そこには1人の少女が疲れ切った表情を浮かべ倒れ込んでいた。


「俺が診るよ」


フォニオはまず少女の手首から脈拍をはかり、少女の口元へと耳を寄せる。
少し乱れてはいるが、問題の無い呼吸だ。
手元の小さな鞄から取り出したタオルで彼女の汗を拭き、声を掛けてからそっと水を飲ませる。
少女は小さく身じろぎすると、フォニオに抱きかかえられる形にはなるがそっとその身を起こした。


「君、大丈夫?名前は言える?」


フォニオのその問い掛けに、少女はうっすらと口を開く。


「アレクト……」


少女はそう言うと、フォニオに渡された水を一気に飲み干した。
よほど喉が渇いていたのだろう。
アレクトと名乗る少女は飲み干した水の容器をフォニオへと返し、じっと、何かを探るようにクルトのほうを見る。


「貴方が……」


そして、クルトに聞こえるか聞こえないかという程の小さな声でそう呟くと、静かに立ち上がった。
クルトは、見覚えの無い顔に無遠慮に見つめられ少しの居心地の悪さを感じていたが、それとはまた別に、何か不思議と気になるような空気を少女が纏っている事に気が付いた。
知らない顔だ。
だがどこかにデジャヴを感じる。
格好は明らかに旅人のそれだが、どこか引っ掛かるのだ。
薄緑色の髪、金色の瞳、そして子供らしい手足に飾られるブレスレットには、それに似つかわしくない銃弾の飾り。


銃弾?

――待て、その銃弾は。


クルトがアレクトにわずかな違和感を感じた時には既に彼女の手にはナイフが握られており、その切っ先は一瞬の隙を突いてクルトへと向かってきた。
寸でのところで身をかわしたクルトは、信じられないといった面持ちでアレクトを捉える。
まさかそんな。
だって、そんなものがここに突然現れるなんて。
自分が最初に開発した銃に使われていた銃弾なんて、ある筈が。


「貴方が、兄さんの復讐者」


アレクトはなおもクルトへとナイフを向け続ける。
幼い少女が発する殺気は枯れることなくクルト1人へと真っすぐに注がれていた。


「貴方をずっと探していたの。ダンジョンに巻き込まれたのは迂闊だったけれど、貴方に会えたのならそれも間違いではなかったわ」


ずっと探していた男の手がかりが、今目の前にある。
例えそれが少女の形をしていようとも、クルトにとってそれは喉から手が出る程に渇望したものだった。
ここで逃すわけにはいかない。


「探していたのは俺も一緒だ。あの男はどこにいる。嫌だと言っても案内してもらうぜ」


一歩一歩と間合いを詰めていくクルトとアレクト。
すぐにでも殺し合いが始まりそうな空気に、フォニオは思わず制止の声を上げる。
だが。


「クルト!フォニオ!待った!!」


ゴングの声の後に続き訪れる急速な時間の流れ。
止まっていた時は動き出し、雲が流れ出したかと思うとしばらくして一面に暗雲が立ち込め始めた。
長年探し求めた手がかりを失うまいと伸ばしたクルトの手は虚しく空を切り、3人は一瞬の浮遊感の後、地面へと叩き付けられんばかりの勢いで落下していく。


「私達は貴方達を許さない。絶対にこちらへ来て。絶対に!」


落下のかたわら、そんな少女の言葉が一際大きくクルトの耳へと響いた。
次の瞬間、どさりという音を立ててクルトが辿り着いたのは、紛れもなくヒンデンガルドの船上だった。





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