クルトが悪夢で夜中に目を覚ますようになってから、今日で3日目。
繰り返し紡がれるいやな空気をはらんだ物語は、何度見ても慣れることはない。
今日もまた子供のように飛び起きてしまったことに苦笑しながら、クルトはいつも通りにラボを出る準備をする。
先日、ダンジョンが発見されたと報告があった。
山の頂きに立つ小さな小屋が入口で、それを一度くぐってしまえば途端に空の上だというのだから驚きだ。
しかしそもそもそんなダンジョン、移動手段はどうするのか、身を守る手段は……今まで以上に頭を悩ませるダンジョンの構成に、クルトは目を細める。
やはり頭を使うのが好きだ。
考える事が楽しい。
だが、好きな事、楽しい事は自分の枷にしかならないということも理解しているつもりだ。
今まで生きてきた道筋を振り返っても、自分はきっと、真人間にはなるまい。
そんな事を考えながら手元のダンジョン資料に目を落としていると、ふと見知った影が視界を横切った。
健康的な褐色肌はクルトにはないものだ。
はつらつとした声はひときわ大きく、このNIVの中でもかなり目立つ部類に入る。


「やあミスター・ゴング、今日も素晴らしい声量だな」


顔を上げてにこやかな笑顔でそう声を掛けると、ゴングは知り合いに会えた嬉しさを表すようにくしゃりと笑った。
太陽のような笑顔、とはまさしくこういう笑顔なのだろう。


「おう!クルトは今日も顔色が白いな!ちゃんと寝て食べてるか?」
「いや、生憎な。食生活は変わらず甘味だし、最近は寝つきも悪いときた」
「肉がいいぞ、肉!あとはたっぷり寝ること!それでたいぶ調子も良くなると思うんだけどなぁ」


ゴングが先程とはうってかわって心配そうな顔でクルトを覗き込む。
それがクルトにはなんだかおかしくて、まるで目の前で映画でも見せられているようで。
あの悪夢を見るようになってから、なんだか久々に心から笑った気さえする。
それなのに。


「えっ、なんだ!?オレ今何か変な事言ったか!?」
「いや、違う、違うんだ……はは!ミスター、君はやはり非常に……非常に……」


面白く、そして楽しい。
事実なのに、そう思っているのに、声に出すのが恐ろしい。
ことだま、とはよく言ったもので、言葉にしてしまうことでそれが力を持ってしまう。
何度も楽しい、好きだという感情を抱いては捨ててきたクルトが積極的にそれを言葉にしないのは、ことだまなんていうものを信じているからなのかもしれない。


「まぁそれはいいさ。それよりミスター、君もやはりダンジョンへと向かうのか?」
「もっちろん!もしかしたらお宝があったり、何か貴重なものもあるかもしれないしな」


彼の探求心溢れるところは、素直に敬愛を抱ける。
科学者としてそれは見習うべき姿勢だし、共にダンジョンに赴く相手としては心強くもある。


「そうかそうか。それならミスター、そんな君にいいものを授けよう!」
「いいもの!?」
「あぁ。俺の科学技術の粋を集めた、加速装置つきジェットパックだ。無論、対空戦にも対応できるよう手元のスイッチで操作できる砲撃も搭載済みだ」


そう言うとクルトはいそいそとジェットパックをゴングの近くまで運び、彼にそれを装着した。
ガチャンという重々しい音がその重厚さを物語っている。


「おぉ〜!」
「ふふ、褒め称えたくもなるだろう!いいか、まずはよく聞け。操作の説明から始めようじゃないか」
「頼んだ!」


言いながら、ゴングは興味深げにジェットパックを何度も見て、手元の装置を楽しそうに触っている。
ピッ、という高い音が鳴った。
一方のクルトはというと、改造ジェットパックの会心の出来に大満足といった様子で、ゴングの様子をまともに見てすらいない。
こんな状況で起こる事故といえばひとつしかないだろう。


「ミスター・ゴング、まずはその右手のスイッチを……ミスター?」


消音加工をしていたのが仇となったか、クルトが気付いた時にはゴングは遥か空の彼方。
思わずきれいな二度見をしてしまう程、その時のクルトは今の状況を飲み込めていなかった。


「クルトーーーーー!!!これすっげーーー飛ぶなーーーーーーー!!!!」
「……は?」


野生の勘で操作感を掴んだのか、ゴングはすいすいとジェットパックを操りヒンデンガルドから飛び立っていく。


「いや、待て……待て待て待て!嘘だろう!?」


彼が向かうは、方向からしてダンジョンの方角。
自慢の機械を使ってくれるのはクルトにとってまたとない喜びではあるが、今はそれを喜んでいる場合ではない。


「すぐにでも追う必要があるな……くっ、目を離すんじゃなかった……!」


ぶつぶつと呟きながらクルトが急いで自分用のジェットパックを背負おうとしていると、そんなクルトの背中に楽しそうに言葉を投げ掛けてくる2人がいた。
声で分かる、最近やけに馴染みのある2人だ。


「や!楽しそうだね」
「うんうん、おいちゃん達も混ぜてほしいなぁ」


声の主……ゼンマイはいつも以上ににこにこと楽しそうだし、ピュアも普段の飄々とした態度は崩す事なく、それでも目はしっかりと笑っている。
こんな時に、間が悪いというべきか、頼もしいというべきか。


「……これが楽しそうに見えるなら君達の目は節穴だと言わざるを得ないわけだが?」
「まあまあ、そうかっかしない方がいいぜ。ゴングだって強いんだ、そう簡単にやられるわけがない」
「イライラすると血圧上がるよ。深呼吸、深呼吸」


まぁ確かに、彼らの言う事は一理ある。
焦ったところで事態が好転するわけでもなし、それならば落ち着いてゴングの捜索に向かったほうがいいのだろう。


「いやあそんなに焦るなんて、クルトさんよっぽどNIVのみんなの事が大切なんだね」
「……はは、まさか、そんな」


ゼンマイの言葉に、少しだけ胸のあたりが抉られるような感覚を覚える。
大切、か。


「はいはーい、それじゃあさくっと行ってみましょうかね」


だがそんな思考も、ピュアの言葉によって遮られる。
そう、今優先されるべきはゴングの捜索だ。
クルトは、ゼンマイとピュアと共に遥か上空に鎮座するダンジョンへと飛び立った。





***





ヒンデンガルドから一歩外へ降り立つと、どこまで続くとも知れない程の広大な空が3人を迎えた。
ダンジョンが現れたという小屋の付近には、同じようにダンジョンを攻略しようと意気込むNIVのメンバーやアントラ、タロンと思わしき者達もいた。
ダンジョンに入るより前に無用な争いを起こす必要も無いだろうと3人は手早くダンジョン内へと足を踏み入れる。
山小屋が入口だとは聞いていたが、果たしてここからどんな風にして”ジェットパックが必要”なダンジョンへと行けるのだろうか。
クルトがそう考えていると、先に扉を開けたゼンマイから感嘆の声が上がる。


「これは驚いた……」


その声に促されるようにしてゼンマイの視線を追うと、扉を開けた先に広がる大きな広場、そしてそこに鎮座する大木がクルトの目に映った。
ここまで大規模なダンジョンになっているとは思いもよらず、だからこそ、ゴングの消息もまた気になるものとなった。


「あそこが次の階層への入り口みたいだな。また扉だ」
「ふむ、開けよう」


3人は扉の前に立ち、ひと呼吸置いて扉に手を掛けた。
瞬間、なんとも言えない浮遊感が彼らを襲う。
例えるならそう、超高速のエレベーターに乗っているような、ジェットコースターで一気に頂上まで駆け上がるような、そんな感覚。
気付けば3人は空の上。
ここがこのダンジョンの通常階層なのだろう。
周りには往路で見たものと遜色の無い青空が広がり、ヒンデンガルドにいるかのような高所にいるのは確かなのだが、その足場はヒンデンガルト程強固なものではない。
雲の上に立っている、という言葉がぴったりなのだ。
どういう原理なのかはさっぱり分からないのだが。


「はーーほんと、驚きだね。ハイブリッドだし、ダンジョン探索にはだいぶ慣れてるつもりだけど、久々にこんな驚きの連続かもしれない」


確かにゼンマイの言う通り、この構造はいくらダンジョン慣れしている者でもかなり驚いてしまうような構造をしている。
なにせ扉を開ければすぐに空の上だ。


「俺達が高所恐怖症じゃなくてよかったよネ」
「はは、まったくだ」


そんな冗談を笑いながら言い合い進んで、どれだけの時間が経っただろう。
何かが少しおかしい、と気付いた頃には手元のコンパスは既に役に立たず、3人は同じ場所をぐるぐると回り続けてしまっていたのだった。
今までのダンジョンと違い道らしい道が無いせいもあるが、そもそも進んでいる方向が上下左右と様々で、いたずらに方向感覚を狂わせる造りになっていることが完全に仇となっている。


「これは完璧に……迷ってるね?」
「お医者様、それを口に出すのは野暮ってもんだぜ」
「いやいや、さすがにこれは迷ってると言っても間違いは無いだろう……」


何度か分厚い雲を越えて進んできたのでいくつか階層を抜けていることは確かなのだが、果たしてここが何階層目なのか、そもそも先へ進めているのかすらもよく分かっていない。


「しかも運の悪い事に、敵さんもそう簡単には先へ行かせてくれないみたいだぜ?」


そう言うクルトが目の端に捉えたのは、この雲の上には似つかわしくない、きらりと輝く空気を纏った小鹿。
その小鹿に乗る、少年とも少女とも見える子供は、ゆったりと微笑みながら3人へと近付いてくる。
子供の見た目とは裏腹に取り巻く雰囲気はどこか高貴ですらあり、敵だと知らなければ思わず手を組んでしまっていたかもしれない。
恐らく精霊、と呼ばれる類だろう。
精霊は小鹿の背の上から3人を見渡すと、ふとクルトのところで視線を止め、ふぅんと声を漏らした。


「ボクは生命を司る存在。清らかなる者には祝福を、悪意ある者には決別をもたらす者」


精霊は相変わらずの微笑を崩さないまま、しっかりと杖を握り直す。
それに反応するように、クルト、ピュア、ゼンマイもそれぞれ戦闘態勢へと入る。
ダンジョンにはこちらに害意を示さないエネミーも存在するとは聞くが、目の前の精霊は決してそうではないだろう。
精霊からは確かな敵意を感じる。


「大丈夫、決別の刻は苦しませないようにするから。苦しませるのは本意ではないからね。それにしてもおにーさん、そうそこのピンクの。随分と死の香りに囲まれているね」
「……何が言いたい」


精霊の柔らかな声に誘われるように流れてくるクルトの過去の記憶。
クルトは誰かに直接手を下した事はまだ無い。
しかし彼の最後の目標はそこでもある。


「分かっていないって顔してるけど、そのままの意味だよ。おにーさんの周りは死で溢れてる。生命を蔑ろにする者には決別を、それが相応の対価でしょ」


生命を蔑ろにする。
それなら両親を陥れて殺したあの男もまた、生命を蔑ろにしているのではないか。
それに相応の対価をくれてやろうとしている自分もまた、そうなのだろうけれど。
自分が成そうとしている事は”悪い事”なのだろうか。
困った、また分からなくなっていく。


「それとそこの金髪のおにーさんもね」
「あ?」


精霊は、今度はピュアのほうを見て薄く微笑んだ。
何かを語るより明らかなその瞳でピュアを見やる精霊は、クルトに語った時と同じように口を開く。
だがその口から言葉が紡がれることは無かった。
かわりに響くのは高らかな銃声。
精霊は、ピュアが手にした銃により、その左胸を的確に貫かれていた。


「余計な詮索は無用だ」


人はここまで冷たい声が出せるのか、と思わず自分の耳を疑ってしまうような声だった。
弾丸により胸を撃ち抜かれた精霊は、小鹿の上から地面へと体を崩れさせ、ポキリと音をさせながらその四肢を枝へと変えた。


「なぁおい、あんた……まだ……」
「お医者様」


ピュアの鋭い声は、ゼンマイにそれ以上の事を言わせない。
精霊が言葉にしようとしていたクルト、そしてピュアの”命に対しての向き合い方”。
復讐者として、そして科学者として一線を越えてしまえば、それは人の倫理観に抵触する。


「見ろよ、落としていったぜ、さっきの」


そう言って笑うピュアの瞳は間違いなくいつもの彼だ。
倫理を越えた先にあるという真理を追い求める研究者の顔ではない。


「おーいクルト、大丈夫か?」


一方のクルトはというと、先程精霊に言われた言葉の意味をゆっくりと反芻していた。
死に溢れている、精霊は確かにそう言ったのだ。
精霊は、これからクルトが起こし得るであろう出来事を予測してそう言ったのだろうか。
両親を殺した男に復讐をする事、誰かを大切だと思う事、物事を楽しいと思う事、それらの事がクルトの中ではまったく噛み合わなくて、だからこそ歯がゆい。
何が自分の本当の気持ちで、何が正しくて、何が間違っているのか。


「……あぁ、すまない。先を急ごう」


考えても考えてもすぐに答えは出ない。
今はただ、先へと進むしかないのだ。





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